コンチネンタル彼岸

意識の別荘

興味あることリスト④

 

また興味のあることが溜まり、調べたら色々と面白かった。

 

 

 

糸屋宗仙(1596〜1615)


 

知人から老舗の奈良漬を貰い舌鼓を打ち、美味しかったので自分でも注文するなどする中で、そもそも奈良漬の歴史が知りたくなり調べてみたところ、糸屋宗仙という人物を知ることとなった。この人は「奈良漬」のネーミングをした人である(奈良漬に相当する漬物は遥かそれ以前から存在した)。奈良の中筋町に住んでいた町医者でもあるが、徳川家康に自作の奈良漬を献上したところ、相当に気に入られて、奈良漬造りの幕府御用商人となったらしい。しかし、19歳で夭折している。

この若さで、奈良の一角で町医者(漢方医)をしつつ、奈良漬の開発も行い、幕府に召し抱えられる。まずもって天才的だと思うのだが、簡単に調べた範囲では、この人物に関する情報が限られている。

yamato-masudaya.jp

時は江戸時代、奈良中筋町に住んでいた医者であった糸屋宗仙(1596年~1615年)はシロウリの粕漬を「奈良漬」の名前で商品として売り出したところ、とてもおいしいと評判になりました。大坂夏の陣の時に徳川家康に献上したところ大変気に入られ、やがては江戸に呼び寄せられ、奈良漬作りの幕府御用商人にさせたと伝えられています。

 

traditional-foods.maff.go.jp

室町時代に清酒づくりが始まってから酒かすを用いるようになり、現在の奈良漬けの形が出来上がった。商品として販売されるようになったのは、奈良の医者、糸屋宗仙が安土桃山時代から江戸時代にかけて、シロウリを酒かすに漬けて製造、販売したことが始まりと伝わる。

 

どのサイトも、宗仙が仕事の傍ら、自作の漬物を「奈良漬」と銘打って売り出したことと、それが評判を呼び、徳川家に召し抱えられることまでしか書かれておらず、宗仙がどのような人であったか、夭折の原因はなんだったかといった、肝心の人物像に関わる情報が欠けている。

ちなみに江戸時代における医者の社会的な序列としては、朝廷医>官医>藩医>町医で、宗仙は一番身分の低い医者ではあるが、この階級は学問の習得に関して自由度が高い身分でもあり(幕府側の検閲から逃れやすいため)、儒学や蘭学を通して外来情報に触れやすい身分であったともいわれる。

ちなみに宗仙の亡くなった1615年といえば、あの大阪夏の陣があった年だ。この戦の最中、家康は自陣に攻撃を受けて何度か敗走している。召し抱えられた宗仙も、どんな形か戦場に出て、若くして戦死したとも想像できる。

 

花壇墓

 

お世話になっている床屋さんのご家族が亡くなり、後日、お悔やみと散髪のために店に伺って話を聞いたところ、花壇墓のことが話題に出た。簡単にいえば永代供養と自然葬の組み合わせで、その名の通り、故人は花壇に納められたそうだ。なんとなく場所も教えてもらったのでそのうち確認しに行きたい。

haka-mori.co.jp

 

最近やたらと「墓じまい」という言葉も耳にする。私自身つくづく思うが、正直、代々の墓が色んな意味で邪魔になってきた。また、一族とはいえ、なぜ顔も知らない人間とも死後一緒に納められるのか。頑張って生きてきて、最期、自分を罠に嵌めるような仕打ちをわざわざ施したくはない。ならば、自分が死んだらどういう形で納められたいか想定しておくべきだ。また死に瀕した際、残された人間に自分の希望を託して逝けるのかも大事となる。床屋さんから話を聞いて、急に気の長い課題を与えられたようになった。

死後にどう納められたいかのイメージ。これは案外に、人生においては実現性の高い事柄のひとつではないのかと感じた。埋葬の形とは、当人の希望するその強いイメージこそが具体性というか計画の要で、それを前もって主張しておくことと、自分も含めた周囲の人間に理解があれば、ある程度イメージに沿ったものにできるような気がしてくる。

30代から自分の埋葬のイメージを蓄えておくというのも変な話かもしれないが、天災は起こるし、道路で車も逆走してくるし、戦争もいつどこで起きるかも分からない。朧げながらも埋葬のイメージは、少しずつでも築いていこうかと思う。なんとなくとしかいえないが、自分の余暇にどんなことが好きで過ごしていたか、その安寧と連続する形ですんなり納まるようになると好ましい。

 

イスラム教

 

ある日、イスラム教の知識がほぼほぼない自分に驚愕したため、勉強しようと思ってネットをウロウロしていたらこのサイトを見つけた。

law396.com

 

イスラム教の概要がまとめられている。読み応えあり。世界の平定に貢献している一大宗教であると想起できてくる。世界人口の5人に1人がムスリムであるその密度に、今更ながら驚きつつも、中東よりもインドネシアやインドなどのアジアに信者が多く、欧米のキリスト教圏よりもはるかに信仰圏内が近いのに関わらず、普段そう感じさせないのは、日本がそれだけ近視眼的で「バリアが強い」からなのかと思う。しかしこれは悪いともいえないのか。

また、「ジハード」というと血腥い「聖戦」のイメージだが、ジハードの言葉の意味は単に「努力する」であり、「戦争」を意味してはいないことを知る。本来そうは使わない言葉を特殊な解釈で用いる過激派組織が報道されることで、我々の見識不足からイスラムの人たちそのものへの警戒感が強まる。これは偏向的な認識に繋がり、必要以上の敵を自分の中に作ることに繋がるし、下手すればその認識を利用される。という意識を持ちたい。

ちなみに、アラビア語で「法」は「シャリーア」というそうだが、元々は「水場に至る道」という意味をもつ。涼しげな語感も相まって気に入った。イスラムの聖典には旧約聖書も含まれるので、当然、ユダヤ教の沐浴や律法をも想起させる。そういった宗教的な連続を意識しながら、そのうち「コーラン」を読んでみようかと思う。

 

star-watch0705.hateblo.jp