コンチネンタル彼岸

意識の別荘

眠れない夜に考えること。

 

 

 

・1日の出来事を思い出す。

その日(眠れなくてすでに前日になっているものだが)、朝起きて、夜に床に着くまでの記憶を頭の中で再生させる。覚えていることだけを点々と思い出すのではなく、思い出せない部分は頭の中で創作する。起きて顔を洗い、朝ごはんを食べて準備をし、玄関を出て、職場に着いて同僚に挨拶し、カードキーで研究所に入り、などと、その日の出来事を時間に沿って仔細に頭の中で流していく。うまくいけば、どこかの地点で夢に入り込むことができる。

 

 

・印象に残った旅の記憶を思い出す。

 

心に残っている旅の思い出にも、私には入眠作用がある。旅の始まりから終わりにかけて、思い出せる限り思い出してみる。荷物を背負い、バスと電車を乗り継いで、無人駅で降り、遠くで猫がこちらを見ている渇いた道を進んでいく。だんだんと実体験と妄想の境が分からなくなってくる。うまくいけば、どこかの地点で夢に入り込むことができる。

 

 

・幽体離脱する。


地縛霊のように重たげな自分の体を抜け出し、部屋を出て階段を降りる。なにも履かずに玄関を出て、真夜中の道を地面から少しだけ宙に浮きながら進んでいく。近所のコンビニ、薬局、コインランドリー、駐在所の前を通り過ぎ、闇に沈んだ学校の校門をすり抜ける。それから、校庭で同じように幽体離脱した仲間たちと遊ぶ。そんな妄想を働かせているうちに、うまくいけばそのまま夢に入り込むことができる。

 

 

・行きたい場所に飛ぶ。


自分が行きたいと思っている場所へ、唐突に頭の中で飛ぶ。厳島神社、浦上天主堂、チベットのポタラ宮、インドのアフマダーバード、シリアのダマスクス、エルサレム、イスタンブール、ブラジリア、月面。一箇所にこだわらず、どんどん飛んでいく。思いつく限り。そのうちどこかの地点で想像から夢に入り込んでいることがある。

 


いずれにしろ、前もって夢を仮設しておき、それを頭が受け取って真正の夢にしてくれるかどうか期待するという、能動的なようで受動的な方法となる。眠りを受け入れてくれるかどうか。眠るのは自分自身の自然な能力に起因するはずのに、眠れない夜は、なぜか上位の存在にでも祈るしかないような感覚になるのが不思議だ。