コンチネンタル彼岸

意識の別荘

アイラブ小屋。

      

・小屋が好き。たとえばこういうの。

 

・さらに追加でこういうの。

 

・一見、使用意図が不明で、作りは粗雑ではあるものの、中に入れば案外快適そうな予感を感じさせる小屋。これらはいずれも土地の端っこにポツンとあり、「管理人のねぐら」的な風情を感じさせる。人からは所詮、「掘っ建て小屋」と一緒くたに呼ばれるものだけど、心を揺さぶる何かがあり、見つけたらしばし近くで目を見張る。

 

・多様な建材の組み合わせの妙技に唸らせられる。大胆不敵なパッチワークに、思いがけず鮮やかな色彩。小屋の周囲にある、全てを諦めて放り投げたかのような痕跡。小屋を無人とみて、あまりにもこうしてまじまじと眺めているが、その実、内部で誰かが息を潜めていないかという不穏がいつまでも募る。

 

・こういう小屋に一日や二日泊まることを想像すると、色めき立つような気分になる。逆に、小屋で長年にわたり生活をする想像をすると非常に心が重くなる。隙間風や埃にまみれて三日三晩小屋で暮らすのは、冒険的に魅力的ではあるけれど、それが生活そのものになった時の切実さには耐えられないことを初手から暗示している。小屋には泊まれるが小屋には住めない。

 

・人にこの手の話をしても、「小屋が好きなら自分で建てればええやん」などと抜かす。誰が小屋など建てるか。本来の小屋の主人が不在の折に、勝手に入り込んでいるという状況を体験したいと言っているのに理解されない。だいたい世の中の人は小屋を見てウズウズしないのか。風景の端っこにある正体不明の粗雑な小屋の中に誰かがいるのかいないのか確かめたくならないのだろうか。確かめて誰もいないと分かったとき、もしかしてこの小屋はずっと前から自分のために用意されていたものでないのかと、何か腑に落ちるような気分にならないものだろうか。