コンチネンタル彼岸

意識の別荘

洋楽における「サムライ」の解釈について①

 

・よく海外の作品に出てくるコテコテな「ジャパンカルチャー」が好きだ。ビルの壁面に電子投影されるゲイシャ。近未来ネオヤクザの事務所にある謎の武者鎧。日本に憧憬を抱き、故に日本を勘違いし、妙ちくりんな風情や配置になってるのがとても好き。

 

・ところで、大学時代から洋楽にハマりいろんな曲を聴いてきたが、「サムライ」という単語を割と耳にする。それは歌詞の中であったり、曲のタイトルであったり、ずばりバンド名が「サムライ」だったりもする。

 

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・たとえば、伝説のイギリス産ヘヴィメタルバンド、“Samurai“はまさにそれに当たり、レコードジャケットやアルバムタイトルに至るまで、まさにパーフェクトと呼ぶにふさわしい「サムライ」贔屓ぶりだ。眺めているだけで幸福度数が高い。違和感があるとすれば、このジャケットの鎧武者は何故、刀の刃のある方を自分に向けているのだろう(受け流しか?)と感じるが、そんな些細なことを受け流せないようでは人生やっていけない。


・さらに素晴らしいのは、これだけサムライ的なイメージをビジュアルに表出していながらも、彼らの曲自体には和の付け入る隙がなく、徹頭徹尾、イギリス産ヘヴィメタルな音楽性であることもポイントが高い。慣れない和風な音楽的ニュアンスを投入して神妙になることもなく、クソほどわかりやすい音楽性が展開される所にまた良さがある。

 

・伝統的にイギリスのハードロックやヘヴィメタルは、攻撃性のイメージを騎士の戦いへ投影したりするものなのだが、このバンドはその名からしてサムライに投入した。ここが非常に興味深い。つまり彼らの中では、中世の騎士と同様に、中世のサムライは音楽性のイメージを投入する対象として同列で扱われていることになる。日本人としてそれは誇らしいような、たいしてそうでもないような変な感覚であるが。

 

・ということで当ブログの企画のひとつとして、洋楽において、「サムライ」という単語に含有されるイメージを海外のアーティストがどう扱い、どんなイメージを含ませて自分の作品に取り入れているか、といったことに想像や妄想を巡らし、古今東西の作品を紹介していければと思う。更新は不定期。

 戦術

アイアンメイデンの最新アルバムも実にいいジャケットだ