コンチネンタル彼岸

意識の別荘

バイクを飼っている。

 

・私は普段スーパーカブの一種に乗っており、それで会社にも税務局にも山奥の温泉にもどこにでも行く。先日もこれで出掛けて駐輪場に停めたら、「これはかわいいバイクですね」と人から声をかけられ、「ペットみたいなもんですよ」となんとなく応えた時に、そうだ、自分にとってバイクはペットなのだと今更のように納得した。

 

・それから家で所持しているバイクの本体価格や維持費を含めた諸費用と、実際にペットとして購入可能な動物の取引価格や餌代やらワクチン代やらの諸費用を比較。自分のバイクはどんな動物を飼っているのと同程度の負担額なのか調べてみた。

 

・ざっくりいうと、バイクの本体価格にオプションパーツ代、それに年間のガソリン代やら各種保険料、車検代を合わせると60万ぐらいになる。値段や飼育費を含めてそれに匹敵するペットを調べると、ヤマアラシ、ミーアキャット、コモンマーモセット、ハリスホーク(小型の鷲)、カピパラ、アルマジロ、九官鳥(近年は高騰しているらしい)、オオヨロイトカゲなどが候補に上がった。

 

・だからなんだという話だけど、個人的には不思議と満足感があった。バイクを所持することは、そうした動物を飼っているのと同じ責任感を伴っているような実感が湧いたからだと思う。バイクに限らず所持しているマシンとの愛着関係は、機械として認識しているだけでは育たず、ある種、生き物に対する慈しみに近いものがなければ成立しないのではないか。

 

・そんなことを考えていたら、急に思い出した。小川国夫の『重い疲れ』という小説の中にこんな一節がある。

オートバイは植物のように潤っていなければいけない、と、彼は今まで考えたことがないことを考えた。

 

・バイクを生き物のようにみずみずしいものと捉えることは、自分の心をみずみずしくすることに通ずると信じたい。