コンチネンタル彼岸

意識の別荘

SNSで維持したい距離感的な話。

 

 

 

Twitter(現X)の旧知が急にどどっとBlueskyに移り始めため、私もなんだかよく分からぬうちにBlueskyのアカウントを作ってしまった。いつの間にか登録に招待コードが要らなくなっていた。皆そのタイミングで満を辞して移ってきたのだろう。噂によると招待コードがあり余っていたなんて話も聞く。他人のコネが必須なSNSって、どうにも敷居があって流行らない印象があるから、繁栄させるにはユーザーの選抜を諦めるしかないと思う。

 

ただ、もっと根本的に、SNSってこれ以上繁栄するべきなのかなぁみたいな思いがよぎる。かつてのTwitter未満みたいなSNSがこれからも数多く乱立していくのだろうし、現実世界も色んな要因で分断していくだろう。人々は各々、なるべく居心地が良く、治安のいい所を目指し、現実でもネットでもあっちへ行ったりこっちへ行ったりするような精神的難民が増える。その予兆を眺めている感じがする。

 

あ、急に話を変えますけども、SNSとの付き合い方というか、自分で投稿するにあたり、維持する距離感的な何かがすっかり定まってきたと思う。どんな感じかまとめると、

 

①仕事上での付き合いに関する投稿はしない。例えば、仕事の帰りに同僚と飲みに行って、食事風景を画像付きで投稿することは一切しない。また、勤務中に勤務に関する投稿もなるべく控えたい(というかそのタイミングがない)。仕事の愚痴なども呟かない。仕事ととは隠れ蓑であり、表に出すものでもないと考えている。

 

②それを踏まえると、自分の遊びや趣味に関することしか投稿しない。ブログ、お酒、バイク、グルメ、外出先での発見、最近買ったもの、いい感じの風景画像。ほとんど決まりきったものを投稿するようになってきた。だから、「素でつぶやく」ことはほとんどしない。そもそも、SNSで「つぶやく」って感じが、正直いまだによく分からないんだと思う。

 

③基本、SNSのアプリからはログアウトしており、投稿したり、眺めたりしたいときだけログインする。いちいちログアウトしてることを人に話したら、「なんのために?」と聞かれたけれど、生理的に「気持ち悪いから」だと思う。常にログインしている状態は気持ち悪い。SNSに限らず、はてなブログもnoteもBlueskyも、用が無い時はログアウトしている。ログインしたままなのは、玄関のドアを開けたままにしているのと同じ感覚で気持ち悪い。そんなことしたら玄関から色んなものが吹き込んでくるじゃないですか。

 

と、ここまで書いて、たぶん私はインターネットとかSNSにまだまだ心を許していないんだなと感じる。だからこそ、自分の投稿を査定して放つ習慣性が身に付いたのだろう。これでいいと思う。