コンチネンタル彼岸

意識の別荘

柔らかさへの反抗。

 

メインブログの方で、ときどき硬いパンが食べたくなると書いたことがある。

star-watch0705.hatenablog.com


この感覚はまだ健在で、1ヶ月にいちどくらいは飢えたように硬いパンを求める。硬いパンのことを「ハード系パン」と呼ぶらしく、パン屋さんでバゲット(フランスパン)やライ麦パンのような、歯がミシミシいいそうなのを一斤とか一本買ってきて食べる。食べ方はそのまま齧ったり、スライスして焼いたり、おやつではなく主食として扱う。見た目が硬ければ硬そうなほど惹かれる。粘土を固めて焼いたようなパンが好きだ。

 


硬いパンが食べたくなるのは、たまに「やわらかさ」をウリにしているものがことごとく嫌になるからでもある。特にパンなんかはそうで、フワフワだのモッチリだのと、ソフトな謳い文句ばかり並んでいるのが異様に気持ち悪く感じることがある。食べることには食べ応えがつきものなのに、それを限りなく優しく丁寧に、乳児にでも食べさせるかのように取り計らう傾向を曖昧に受け入れてしまっている気がして、意識して帰りに硬いパンを買い家で噛み締めると安心する。

 

柔らかいパンが嫌いなわけじゃない。でも、つい数年前まで見かけた、もう見てくれからしてぼったくり商売だと分かる柔らかさを売りにした高級食パン屋の乱立の件もあり、「柔らかい」という言葉が、人の判断力にどう影響するのかを風景的に傍観してきたし、正直、ああいう風になりたくはないなとつくづく思った。「柔らかい」にわらわらと列をなすゾンビの群れ。

 

なので、硬めのパンを意識して買って食べることは、ささやかな「人間宣言」とでもいえようか。つまり、「俺、生きてるぜ!!」ってことだと思う。柔らかい食べ物にハマるほど、死人に近づくのかもしれない。そいつはまだ早い。