コンチネンタル彼岸

意識の別荘

興味あることリスト②


前回の記事。

star-watch0705.hateblo.jp


また色々と興味あるものが溜まり、調べたりしてみてみたのでそれをまとめていきます。




・キリスト教書店大賞

shop-kyobunkwan.com


本屋大賞が先月発表されたが、とき同じくして「キリスト教書店大賞」が発表されていたのを知った。「キリスト教書店」とは、もちろんキリスト教関連の書物を扱う書店で、キリスト教団出版局が母体となり日本各地で運営されているようだ。「イーショップ教文館」にて、オンライン購入も可能。キリスト教書店大賞にノミネートした書籍も購入できる。

 

ふと、キリスト教大賞があるんならその仏教版もあるだろと思って調べたら、仏教本大賞みたいなのは無いみたいだ。南無。我が家は代々浄土真宗だが、私自身は何故かキリスト教関連の書籍を好んで読むことが多い。聖書も旧約・新訳合わせて数年ごとに読み通している。かといって洗礼を受けたいとも思わない。キリストを単なる個人として捉えているからだろう。



・ポップコーン脳

 

tabi-labo.com

2011年にワシントン大学の研究者デイビッド・レヴィ氏によって導入された用語で、ある話題から別の話題に素早く移行しやすい症状に代表される精神状態を指すのだそう。加熱されたフライパンの中でポップコーンの粒が急速に弾ける様子に喩え名付けられた


先月あたりから聞くようになり調べてみた。最近生み出されたのかと思ったら、意外と年季が経っている言葉だった。人間の注意力持続時間が、2004年をピークに急激に減少傾向にあるらしい。原因としては、ソーシャルメディアの定着により、タスクを行う際に集中度を妨害されることが日常的になったことだと言われる。また、一つのコンテンツに注意力を向ける頻度や時間が短縮化していくと、脳が短時間のザッピングに最適化するそうで、長い時間を要するタスクや趣味に集中するのが徐々に困難になっていく。つまり、映画を二時間じっくり観たりとか、本を集中して読み込んだりするのが難しくなるため、インプットの性質がインスタントで負荷の軽いものばかりになってしまう。

 

どこで聞いたか忘れたが、ADHDは後天性である場合もあるらしい。そもそもSNS自体が、注意欠陥障害の傾向に最適化したソーシャルメディアであり、定型発達者であっても、後天的に擬似ADHD的な習性を身につける素因となっているように感じられる。染まり切るというよりは、自分の中にあるADHD的なわちゃわちゃした感じというか、そういうモードになる切り替えのスイッチとしてSNSがあるという感覚を私は持つ。そこからすんなり通常モードに戻って来れるかどうか。いや、そもそも「戻ってきた」という感覚が生じるかどうか。そこに本当の自分が佇むのではないかと想像してみる。

 

ところでポップコーン脳。個人的には、“popcorn brain“と綴るよりかは、“popcorn head“とする方がかっこいい気がするけど、そう思う素因は、もちろんデイヴィット・リンチの「イレイザーヘッド」からきていると思う。

 

youtu.be

 

・高臥

 


「こうが」と読む。上の写真はこないだ泊まった旅館に飾ってあったもの。言葉の意味としては無知だったので調べてみたら、

ja.m.wiktionary.org

世俗を離れ、高いを持ち、山野で暮らすこと。


とあり、まるで仙人の境地だ。確かに、世俗を離れた深い山野に囲まれた旅館ではあったものの、すっかり露天風呂にも入ってのんびりした気持ちだったので、自分にとても高い心性があるとは思えなかった。残念。ちなみにこの額に書かれているのは中国語の簡体字バージョンなのだが、中国語での意味は「快適な状態で眠る」「隠居する」となる。これならしっくりくる。「ああ、ではそろそろ時間ですし私は高臥するといたします」などと普段使いするのもどうか。

 

 

・フランシス・スコット・キー橋

youtu.be

こないだアメリカでタンカーがぶつかったら嘘みたいに全部崩れた橋。名前はなんていうんだろうと思って調べたら、「フランシス・スコット・キー橋」というそうな。さらに調べると、「フランシス・スコット・キー」は人名であり、18世紀生まれのアメリカ人で弁護士、そして詩人であり、アメリカ国家の歌詞を書き上げた人物だと分かった。さらに驚いたのが、この人の一族には、『グレート・ギャツビー』を書いた、あのフィッツジェラルドがいる。フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルド。橋を調べたらフィッツジェラルドとつながるなんて。こういう意外な面白さがあるのでなんでも調べてみるべきだ。


 

・カカオフリー

acejapan.org

今年のバレンタインやホワイトデーあたりの時期に、「カカオが高騰していてチョコレートの価格が上がっている」というニュースをふと観て、地球温暖化の影響だろうなと思っていたけど、そのあと色々調べてみたら根が深かった。そもそも原料のカカオ自体が、現代の奴隷制ともいうべき生産システムで成り立っており、そこには人身売買業者も多く関わっているようだ。

 

カカオ生産は主に身売りされた子供が関わり、過酷な労働によって正式な教育を受ける機会を奪われて、劣悪な環境下で半ば使い捨てのように扱われている。また、カカオの栽培地を拡張するために森林を伐採し、大量の農薬を投入するなど、自然破壊も誘発している。かつての植民地下の光景が未だ変わらずにあり、輸入国がカカオに依存している限りこの状況は改善しない。

 

ideasforgood.jp


そこで、最近聞くようになった「カカオフリー」という、カカオ依存から脱却するための取り組みが関係してくる。簡単に言えば、カカオ以外でチョコレートを生産しようというもの。大麦とイナゴ豆とその他いろいろを組み合わせ、さらにカフェイン・グルテン・糖分量などもコントロールし、より安全に健康志向で食べられるチョコが作れるそうだ。嗜好品の原料がある地域で特需的にしか生産できず、しかも、その輸入国と輸出国の経済力の差が大きすぎると、上で書いたようなカカオ生産における奴隷性の名残のような状況が起きやすくなるが、世界中で普遍的に生産している原料に置き換わることにより、カカオフリーチョコの生産が「オープンソース化」するわけだ。


すると、チョコの生産コストが安くなり、コートボジワールとガーナの特産品であるカカオは徐々にその価値を失う。悪質な生産環境や市場も淘汰され、カカオフリーで儲けた金が現地を癒す。本当にそうだろうか。何かに置き換えられるだけの気がしてならない。カカオの枯れた広大な土地に、なんだかギラギラした工場ができて、そこで一日中カカオフリーなチョコレートのパッケージ詰めをする子供たちが見える。